(その2) 東京藝術大学と異分野融合

澤 和樹・東京藝術大学長のご演奏の様子

■藝大学長として取り組んでいるテーマ

澤:東京藝術大学は、創立は明治20年、東京美術学校と東京音楽学校という二つの専門学校が、戦後新制大学になって一緒になったんです。とても長い歴史を持ち、芸術専門家を育てる大学というミッションでやってきていましたので、最近まではそこの部分がすごく強調されていました。例えば私がまだ学生の頃には、音楽学部であればみんな演奏家として独り立ちすることを目指して入ってきて一生懸命頑張っているから、卒業してどこかに「就職する」、例えばプロのオーケストラであっても、「就職する」っていうことをあまり潔しとしない風潮がありました。卒業後は「一人の芸術家として歩む」というのが王道だ、っていう考え方が割と長くあったのです。 ところが、もう5年前ですけれども、前学長の宮田亮平先生が急に文化庁長官になられまして。本当に青天の霹靂で、私が本当に準備期間一か月ぐらいで学長になりました(笑)。ちょうどその頃に『最後の秘境 東京藝大』(※)という本がベストセラーになりました。本の宣伝に「競争率は東大の3倍」と書かれていて、そこまではいいんですけれども、その後に「卒業生多数行方不明」だと(笑)。それはそれで、「売りの言葉」として面白いのですが、学長になったら、笑っていてはいけないと思いました。卒業生の進路について、昔ながらの王道を目指す人ももちろんいなければいけないのですが、そうでなければダメだというのはやはり間違っているだろうと思いまして。どんな形で社会に貢献していけるのかというのを、大学のほうがもっとプロデュースしていかなければいけないなと思いました。 それ以来、伝統的な芸術家を育てるところはもちろん大切にしていますが、今、世の中から藝大に期待されるものはすごく多様化しているとひしひしと感じています。特に最近のSDGsとか、地球全体課題であるコロナもそうですが、人類に共通の課題というのは、解決するのに「芸術」が今後のキーワードになっていくんじゃないかと考えています。 だから、芸術と異分野との融合は直近のテーマです。

※『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』二宮敦人(新潮社)2016

芸術と異分野融合について語る澤 和樹・東京藝術大学長(右)

■アートとサイエンス

中島:澤先生の考えられる「異分野」というのは、「アートとサイエンス」を考えられているんですか。

澤:そうです。卒業生がなぜ「行方不明」などと世の中から認められないのか、なぜ芸術というものが認められないのかと考えた時に、やはり芸術がどれだけ人間生活にとって必要不可欠なものかということを、多くの人に分かりやすく説明する必要があると思ったのです。 「モーツァルトを聴かせたワインが甘くなる」とか、「モーツァルトを聞かせて牛のお腹をマッサージすると霜降りのいいお肉になる」というようなことが時折語られたりしますが、もしかしたら、医学的、科学的にエビデンスが取れる可能性もあるかも知れないと思いまして。 近年、東京大学の医学部の学生さん達と、「Arts Meet Science」というディスカッションを始めたところです。テーマは医学と芸術。順天堂大学や、慶應医学部、今度は東工大も入ることになってきています。 もしかすると、普通だったらある種ライバル同士という感じの大学も、そこに「芸術」が間に入ることによっていろんな形で「ハブ」になれるんじゃないかなと思い始めたのです。だから今後、芸術、あるいは東京藝術大学が世の中に認められるためにも、このプロジェクトは進めていかなければいけないと思いました。 例えば、音楽の良さというのが科学的に、人間の脳にどう影響するか、といったようなことを医学の専門家達とディスカッションする。今、学生の間でそれがすごく盛り上がっています。そこに先生方も、今特にオンラインの時代なので、普段は海外にいらっしゃる先生なんかもWebで入ってこられたりしています。オンラインになって、逆にいろいろなミーティングがしやすくなっている、ということですね。

アートとサイエンスなど、話題は多岐に及びました

■芸術とエビデンス

中島:例えばグリーンハウスの中でちょっと音楽を聞かせたら生育が良くなる、など言われたりしています。ありうるかなと思っているのは、音波というか振動ですので、植物に対してはかなりいい影響を与えるんじゃないか。面白いテーマかなと思います。生物全てにいろんな影響を与える音というのがあったとして、それが音の組み合わせでまた違ってきたり。音がいいと生育がいいっていうのもあるかも知れないなど、非常に面白いですよね。

澤:あとは、認知症の治療などにも、音楽とか芸術療法の可能性があると思います。アメリカなんかではかなり進んでいるらしいですね。ある医薬品の開発を専門にしている方のお話ですが、新薬の開発には何千億円もかかり、それを治療に使うとなると、保険適用になったら、そこでも国家の財産が相当つぎ込まれる。そういうのももちろん大事ですが、音楽療法とかそういう切り口で、芸術家の仕事の場の確保を、というのは十分プロデュースができるんじゃないかと思うんです。薬で治療する代わりに音楽をやると効果があったり、あるいは安く済んだり。 アメリカなどではもう音楽療法士とか芸術療法士が社会的にも確立されている。日本の場合はもちろんそういう方もいらっしゃるけれども、医療行為として認められているのはすごく限られているようです。いずれにせよ、今後、特に高齢化社会になると、芸術家の活躍の場がどんどん広がるのではないかと思っています。

中島:科学者と芸術家が協力していろんなデータを積み重ねて、突破口が開けると非常におもしろいですね。

(河田機構長):私はたんぱく質の研究が専門で、レビー小体型の認知症などを研究しているんです。今のお話はとても興味深いです。音楽は、感情とかいろいろなところに働いて、脳波やリズムも変わってくるでしょうし。(澤学長のヴァイオリンを見つめ)そういう時に、例えばヴァイオリンの音色はよさそうです。

澤:そうですね。やはりいい音楽はいい音楽と言われる所以があります。クラッシック音楽というのは、いい音楽だからこそ星の数ほどあったものの中から選ばれて現代に伝わっているので、当然いいものなんですけれども、またそれを正しく演奏することも重要です。だから演奏の上手い下手は大いに関係あると思います。

(一同、澤学長の背後のヴァイオリンに熱い視線。)

澤:それでは、このあたりで皆さまの認知症予防に一曲(笑)。

(ヴァイオリニスト・澤和樹先生の名演奏) (一同 拍手)

中島:これで認知症予防効果が(笑顔)。すばらしい音色です。

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